本の選び方
本選びは内容だけでするものではない。本の内容というのはもちろん大切で、自分も普段は内容を重視して選ぶのだが、表紙を見て決めるのも悪くないと思うようになった。
きっかけは友達との会話であった。たまたま読書好きの人と友達になり、好きな小説の話をしていた時の話だったと思う。
僕が当時売れていた「きみの膵臓をたべたい」を読んだと話すと、その人は「あー、あの本は表紙が素敵だから読みたいと思ってたんだよね」と返してきた。
その時に僕の知らない世界を一つ知った気がした。よく考えてみると当然なのだが、小説を書いているのはプロの作家であり、カバーを描いているのもまたプロのイラストレーターや画家なのだということに気づかされた。そういった意味では本は内容という作品とカバーという作品の二つで成り立っているように考えることもできる。
その話を聞いてから、本屋で見かけたきになる本を買おうか悩むときには表紙を見て、この表紙をまた見たいと思うのだろうかということを考えながら自分の背中を押して購入にこぎつけることもある。
日本語の言葉を大事にしているバンド、その名も、、、
バンドというのは重視するのはリズムや盛り上がりだと思っていた。
歌詞を響かせるように歌うのはアコースティックギターを使うシンガーソングライターだと偏見を持っていた。
その中で、すごく歌詞を響かせてくれるバンドに出会った。SUPER BEAVERだ。
このバンドはバンド名や外見とは裏腹にすごく言葉を大切にしているバンドだと感じた。
人が生きていくときには何か信念のようなものが必要になる。自分はこうありたいといった理想のようなもの。そうでなければ馬鹿正直に頑張っている自分が情けなくなる。要領のいいライバルやずるをしておいしい思いをしている人たちがうらやましくなる。
しかし、人としてかっこいいのはそんな人ではない。そういった生き方が何かの得につながるわけではない。でもどうしても自分はかっこよく生きていたい。そんな葛藤や世の中の不条理を一刀両断してくれるような力をこのバンドは持っている。
僕はこのバンドが歌っている曲を聴くと損をして馬鹿にされてもかっこよく生きている自分のほうが好きになれる気がしている。
ケツメイシが勇気をくれる年齢になりつつある件
ケツメイシといえばさくらが有名なアーティストだ。
僕は高校生のころから好きだったのだが最近、あのころとは違った目線で聴くようになってきている。
というのも、ケツメイシはいわゆる中年のグループであり、大人の目線からうたった曲が多い。夢を持とうとかあきらめずにやろうとかそんなことを若い世代が言うのと中年世代がいうのでは言葉の重みが変わってくると考えている。
高校生の頃はよく学校の先生に「君たちは若い、なんにでもなれる、これからの時代を作っていくのは君たちだ。」といったようなことをよく言われていた。当時はそんなわけがないだろうと軽く聞き流していたのだが、今考えてみると確かにその通りで、もし僕があの時本気になっていたらきっとなんにでもなれていただろう。
大人になるにつれて人は夢を見なくなる。周りと比べたときの自分の能力やこれから何かをなすには遅すぎるといったような様々な理由で夢を追いかけることはなくなり、ある程度の妥協を繰り返しながら日々を過ごしていく。
そういった大人に響くのがケツメイシの曲なのだろうと思う。
妥協に慣れてきたけどもう少し頑張ろうぜ、まだまだあきらめるには早いんじゃないのと背中を一押ししてくれる、そんな魅力がある。
何が言いたいのかわからなくなってしまったが、つまらない大人にならないように毎日を過ごしていこう。
やる気が起きなかった原因解明
最近、全く何もやる気が起きずだらだらと過ごしていた。
大学の後期も始まったのだが、オンライン授業であるのをいいことに何一つまともに授業を受けていなかった。
その原因がやっと解明された。
ものすごく単純な話だが、机の上が散らかっていて作業をできるような状態でなかったことが原因だと分かった。
机の上が汚いとまず椅子に座らなくなる。そうなるとソファかベッドに寝転がるわけだがこれでは何もできない。だらだらとスマホを眺めて時間が過ぎていく。机につけば何かしらやろうという気が起こってくる。
ということで昨日やっと机の上を作業ができる状態まで戻すことに成功した。ブログを書くという作業もここでやっているのでまた更新が続けていけるように頑張ろう。
自分の能力を正当に評価してもらえることの幸せ、および評価してもらえない不満
秋のリーグ戦が間もなく開幕しようとしている。
僕も試合に出るのだがその中で不満も出てくる。いろいろなポジションを任されて、いいように使われている気がする。ほかの選手からポジションを決めていき、僕を「あいつはここでも守れるからここでいいだろ」と思われているような気がしているのだ。
もちろん口に出してそういわれることはないが、そう感じてしまう。
打順も同様に決められている。僕はそのことが不満でしょうがない。
自分が決める立場になったときはユーティリティープレイヤーがかわいそうな思いをしないようなオーダーを組んであげたいと思う。
前期試験が終わり夏休みに突入
前期試験が終わり、合否結果まで出ました。
大学の試験というのは単位をとればいいのですが、なかなかストレスのたまるものでした。
僕は現在2年生なので、そこまで本格的な専門科目というのはまだないのですが、2年の前期は歯科医学の入門編という位置づけの基礎科目がありました。
なかなかの量があり大変でしたが結果だけ見ると全部合格点をとることができ、何とか再試験なく夏休みに突入することができました。
ただ、あくまで結果だけ見た場合なので気を緩めないようにしたいです。昨年の試験ではたくさんの不合格者が出た試験も今年は難易度が低くなっていたため、それほど多くの人が試験に落ちるということはなかったです。そういった意味では僕が昨年試験を受けていたらおそらく不合格になっていて今頃再試験の勉強に必死になっていたでしょう。
さて、夏休みがおよそ3週間残っているのでこの時間をどう使うかが大切だと思います。
僕は驚くほど記憶の定着が悪いので残りの夏休みを使って復習していきたいと思います。
やる気のないときこそ行動を起こさなければいけない理由
勉強や部活においても何に関しても言えることだがモチベーションの上がらない日ややる気の出ない日は必ずある。
僕もめちゃくちゃ高低差があるタイプでやる気のある日とない日の差が激しい。
今回はそんな僕が考えるやる気の出ない日こそ行動を起こしたほうがいい理由について話したい。
僕は継続して行っていることに筋トレがあるのだが、継続するというのは大変でしんどい日ややりたくない日もある。それでもやらなければならない。
やる気のある日に筋トレをやろうとするのは簡単なことだ。しかし、やる気のない日にさぼっていたら、やる気のある日に「どうせこの前もやっていないから今日だけやっても意味ないか。。」という思考に陥ってしまう。いつか出てくるモチベーションを無駄にしないために毎日の行動を積み重ねていかなければならないのだ。そうすることにより前進することができない日にも何とか現状維持に努めて後退することがないようにすることで少しずつレベルアップにつながっていく。
現在の僕の状況で言うと、何か他のことに時間をとられてテスト勉強の時間をがっつり確保できない日もある。今までの僕ならちょっとの時間くらいなら勉強してもしなくても変わらないだろ、、くらいに思っていたのだがそんなことはなかった。がっつり時間ができて勉強しているときにこそ、「あのスキマ時間でちょっとずつでも進めておいてよかった」と実感できるのだ。つまり短時間の積み重ねが後から効いてくるということだ。
僕の読んだ本にはこんな言葉があった。
「三日坊主が悪いのではない。五日目に動き出さないことが悪いのだ。」
四日目は休んでいい。休みっぱなしにならないようにすればいいだけだ。